よく「論理的だ」,とか「論理的ではない」という表現を目にします。
論理的とはすなわち「筋が通っている」ことを指すわけですが,わたしたちは「論理」という名で論理を身につけてきたわけではありません。
一体,どこで身につけたのでしょう?
確かに,学校の国語や数学といった基礎学問を通じて養われてきた部分はあります。
しかし,今までを振り返ってみると私の論理の親は「言い訳」だったような気がします。
私は小さい頃から悪いことばかりしてきましたので,そのぶんたくさん怒られてきました。
そして怒られる度に「なぜこんなことをやったのか」と理由を聞かれました。
大した理由なんてないし,なんなら悪いことをした自覚はあるのですが,自分の行動を否定されてそのままおずおずと引き下がるのも癪です。
どうするかというと,自分の行動を正当化するために「言い訳」を考えます。
・「反論されないためにはどうすれば良いか?」
・「正当性を主張するにはどうすればいいか?」
・「相手の言っていることに穴はないか?」
負けず嫌いの側面もあったので,言い訳は結構真剣に考えていました。(「ダメなものはダメ」と言わせたら勝ちだと思っていました)
どうせ言い訳を頑張ったってろくな結末にはならないのですが,こりもせず言い訳を真剣に考えていたような気がします。
万人に当てはまりそうもないですが,私の場合はこの言い訳を考えている時間こそが論理性を磨く瞬間でした。
・自分の行動(結果)と理由(原因)に矛盾はないか?
・なぜ自分の主張は正しいと言えるのか?
ムキになるからこそ本気で悩み,考えました。
みなさんもそういう経験,ありますよね…?
いつからか私は一切口応えしないつまらん人間になってしまいました。
今では生徒にちょっかいがてら反論してみて反応を楽しむ程度です。