あなたは友だちから勉強でわからないところを聞かれたことはありますか?
もしその経験はなくとも自分が質問する側だったり、あるいは教室の風景として見かけたことはあると思います。
私もたまにですが、クラスメイトから授業後に質問されていました。
教えるという行為は、その教える事柄を理解するのにとても効果的です。
なぜかというと人に何かを教えるにはいくつか条件があり、それをクリアしないといけないから。
その条件とは?
(多分今日は長文です)
1つめは、言語化という条件です。
わたしたちは全てのことをいちいち言語化して理解しているわけではありません。
なんとなく、ぼんやり…など「うまく言葉で言えないけど」となってしまう経験はあると思います。
しかし、人に何かを伝えるのは言語化が必須。
頭の中で曖昧になっている部分をゼロにしなければいけません。
その、曖昧な部分をゼロにすることこそが、あなたの理解の大きな助けとなってくれます。
2つめは、論理的であるということです。
何か新しいことを学ぶ上では、あるものごとに対して「なぜそうなるのか」という理由・原因が常につきまといます。
そして、その理由というのは一言では済まない場合も多く、
「AだからBです。そして、Bであるが故にCとなるわけです」
のように2段階、あるいはそれ以上の過程を経て導かれるものがほとんどです。
これを他人に説明しなければいけないとなればやはり妥協は許されず、どこまでも「なぜ」と聞かれていいように論理武装をしなければいけません。
原因や理由を論理的に追えたならば、理解が深まるばかりではなく長期的な記憶が可能になります。
3つめは具体化できるということ。
誰かに新しいことを教えるとき、専門用語をバンバン使って教える人はいませんよね?
伝わりやすいように誰でも知っている言葉・誰でもわかる事象を使っての説明を心がけるはず。
その際に新しいことを、誰でもわかることを使って教える(何かに例える)には「想像力」が必要です。
同じ学問という枠にとらわれず、自分の人生の中から例えとして持ってくるのに相応しいものを、ぐるぐる頭をめぐらせて引き出さなければいけません。
この何かと結びつけようとする姿勢がいわゆる「体系的な学び」であり、これによって理解は深まり「ホンモノ」の知識を習得するわけです。
教えることに対する、具体化の必要性に関して少し述べますが、
具体的であることは言語化や論理的であることに比べたら優先度は落ちますし、教わる側のレベルが高ければ時に不要ではあります。
しかし、初心者に対して、あるいはとっつきにくいことを教えるにはとても大切なことだと思っています。
いい例えをもらった時は素直に「なるほど」となりますし、教える側としても「これだ」という例えを見つけられた時はとても気持ちが良いものです。
まとめになりますが、教えるという行為には深い理解に必要なエッセンスが詰まっています。
実際に誰かに教える機会はそうないかもしれませんが「誰かに教えるならどう伝えるだろう?」というアプローチで学ぶだけでもだいぶ効果は大きいです。
特に、理解が曖昧だなと自分で感じる際にはぜひトライしてみてください。