日記

学問は誰にでも開かれているが受験はそうでもない

学問は楽しいものです。

ここでいう学問とは高校の頃学んでいた科目ではなく、自分の興味のままに学ぶものを指します。

誰だって、興味があるものは楽しく身につけることができるのです。

一方で、受験はどうでしょうか。

受験は誰にとっても楽しいものではありません。

あなたはどうだったでしょうか?

受験勉強が楽しいか楽しくないか、アンケートを取ったらどちらが上回るのでしょう。

何か物事をするモチベーションには

・内発的動機づけ

・外発的動機づけ

というのがあります。

運動が楽しくて毎日走るのが内発的動機づけ。

痩せたくて毎日走るのが外発的動機づけです。

一応定義的なことを書いておくと、

内発的動機づけ:その物事に対する興味・探究心

外発的動機づけ:その物事を通して得られる報酬や評価

を求めて…といったところでしょうか。

おそらく想像するに難くないと思いますが、「内発的動機づけ>外発的動機づけ」です。

吸収力や継続することへのストレスのなさ、あらゆる面で内発的動機づけが優れています。

もちろん、外発的動機づけが悪いわけではありません。

どうしても、自分が何かを成し遂げる(つまり報酬)ための道具として継続しなければいけない物事だってたくさんあるでしょう。

報酬のために何かを始めること自体はごくごく当たり前ではあります。

内発的動機づけで継続することが難しいという人はいません。

一方で、外発的動機づけとなると続けることができる人とできない人がいます。

報酬のために、がむしゃらになれる人となれない人がいるということです。

タイトルの「学問は誰にでも開かれているが、受験はそうでもない」とはそういう意味になります。

受験は基本的には「志望校合格」という報酬ありきです。

つまり外発的動機づけで受験勉強をすることになるわけですが、そこにどれだけの情熱を注げるかはその人と「外発的動機づけ」の相性によると思います。

競争心が薄い、勝つことにこだわりがない、みたいなタイプの人は外発的動機づけで長く続かない人です。

じゃあ、そのような人たちはどうすればいいかというと私の中では大きく二つ答えがあって

① 勉強を頑張るものではなく、歯磨きや風呂のような日常の「作業」に落とし込む

② 内発的動機づけで勉強する

です。

①は具体的な話をすると長くなるので次回か次々回に書きます。

②については正直時間の余裕がないとできません。

合格を意識しなくても良いような時期に自分の興味の赴くままにどんどん先取りをする。

そういった勉強ができれば自ずと受験で戦えるレベルになるでしょう。

「勉強自体が楽しくて、気づいたら合格してました」みたいな人たちはいわゆる内発的動機づけで勉強をしているので最強です。

外発的動機づけで頑張っている人よりも吸収力や日常の負荷が段違いなので、大抵の場合は太刀打ちできません。

理想はこっちなのですが、なかなか難しいですよね。

私は高1の頃、世界史を「定期テストで最低限の点数をとる」という外発的動機づけの中でもだいぶ質の悪い報酬のために勉強していました。

世界史を勉強するのが苦痛で仕方ありませんでした。

そこからだいぶ時間は飛んで大学院1年の頃、何かをきっかけに第2次世界大戦に興味が湧き、あれだけ嫌だった世界史の教科書をbookoffで購入しました。

言葉も内容もスルスル入ったのですが、今思えばあれが内発的動機づけの力だったんですね。

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