日記

大学時代の海外交流で1番恥ずかしかったこと

さすが6月ということもあり、むしむしした暑さが続いていますね。

私は寒いよりは暑い方がマシなタイプですが、それでもやはりイヤな時期ですね。

塾では英語の授業が英作文に入り、その中で私が大学時代に短期留学でメキシコに行った話をしました。

その留学プログラムは、東・東南アジア、オーストラリア、アメリカ、メキシコの大学生がみんなメキシコに集い起業について学ぶものでした。

私は「メキシコなんて一生行かなそうだしちょうどいいな」と何も考えずに参加。

大して英語が喋れるわけでもないのに、ある程度ペラペラ話せる前提のプログラムに参加してしまい結果的にとても大変でした。

英語が喋れないせいでみんなとのディスカッションに全然ついていけません。

もちろん、みんなが喋っている中で自分だけ参加できないのは恥ずかしいことではありましたが、正直しょうがない部分でもあったのでこれについては割り切れる方でした。

お腹痛いと言って抜け出し、近くのカフェでクレープを食べたりして時間を凌ぐくらいには割り切っていました。

しかし、この留学では英語が話せないことより恥ずかしい思いをする瞬間が到来します。

それはバスで隣になったインドネシア人との会話の最中のことです。

そのインドネシア人は日本文化にとても興味があり、戦国武将や日本の地名などたくさん知っていました。

そして日本人の私に歴史・文化についていろいろ質問してきました。

しかし、私は悲しいかな、自国の文化や歴史を語るにはあまりにも知識がありません。

あれこれ質問されても「わからない」とか浅い返答しかできず、とても恥ずかしい思いをしました。

「自分を語れないとはこんなに惨めなものなのか」と。

逆に、私がインドネシアのことを彼に尋ねると、彼は嬉々としてたくさん語ってくれます。

中高で社会科目を蔑ろにしたことを後悔するとともに、自国の歴史や文化を学ぶ大切さに気づけた瞬間でした。

他人とのコミュニケーションは、相手を知るところから始まります。

ましてや言語が違う外国人が相手となれば尚更です。

コミュニケーションは相互に行うものなので、相手を知るということは同時に自分を知ってもらうことになります。

相手を知るだけなら小手先でどうにでもなりますが、自分(自国)を知ってもらうには知識が不可欠です。

幸いなことに島国である日本は、他大陸では見られないユニークな文化や歴史がたくさん。

語れば外国人が喜んでくれることは私が保証しますので、日本文化・歴史を学ぶことを強くオススメします。

ちなみに、そのインドネシア人とは仲良くなり、日本に来てくれた時に秋葉原で一緒に遊びました。

メイド喫茶でメイドにデレデレだったのが印象的です。

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