日記

国文法を学ぶことの意義

"文法"と聞いて真っ先に思い浮かぶ科目は何でしょうか?

大体の方は英語なんじゃないかなと思います。

主語、動詞、目的語、補語だのなんだのやりましたね。

もちろん文法は英語だけのものではなく日本語にもあります。

日本語の文法は通称、国文法と呼ばれ中学校から本格的に学ぶようになっているはずです。

英語の文法は英語を読み書きするために学びます。

文法を知らなければ、単語をどのように並べればいいかわかりませんよね。

ところが、日本語の場合はどうでしょうか。

ほとんどの人は中学までに日本語で不自由することはなくなっているでしょう。

”読み書きできるようになる”という目的では、とても今更感のある分野となります。

私は国語という科目があまり好きではありませんでしたが、国文法を学ぶことは好きでした。

自分が使っている言葉にルールがあることを初めて知り、確かにその通りになっていることに嬉しくなった記憶があります。

古文の文法も国文法と深くかかわっているため、私は古文も比較的楽しく学ぶことができました。

しかし、国文法って古文のために学ぶものなのか?と聞かれたらそうではない気がする。

古文のために国文法をやるという話はよく聞きますが、

それなら国文法なんてやらずにいきなり古文の文法を中学からやればいいと思います。

国文法を学ぶことそれ自体に意味があるはず。

その意味とは、文化の継承だと考えています。

土地と通貨と言語はその国の誇りです。

若干日本好きが出てるのは許してほしいのですが、日本は素敵な土地に恵まれているし唯一無二の特徴を持つ言語があるし通貨だって世界的に通用しています。

(最近土地に関しては外国人に買われまくっている現状がとても心配ですが)

日本文化を末永く、太く継承させていくために全国民に今の日本語とそのルーツを体系的に理解しておいてほしいのではないかと私は考えます。

私が中学の頃の話になりますが、ラサール高校を受験するにあたり国文法はマストでした。

ラサールの国文法はやけに難しかった記憶があります。

今見るとそうでもないんだろうか。

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